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ベジブログ

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春琴(久々に感想文)
「打ち上げのあと朝帰ってきたら会社に顔出してもどうせ仕事できないでしょ」

と言う事で、昨日は休みになりました。
打ち上げのあと朝帰って寝て起きたら16時とかで、確かにこりゃ仕事できないわなあ。


いきなり休みになり部屋にあったゴミをまとめたら、それだけで部屋が半分くらい片付いたので、それまで部屋の半分はゴミだったことが判明しました。
さらに散らかっている本や雑誌を一箇所へ隔離すると、部屋の4分の1が綺麗になったので、どうやら生活しているのは部屋の25パーくらいなものらしい。
まあ水槽の前かコタツか布団にしかいかないから、そんなものなのかも。

080303_0702~01.jpg
ランチパックに落花生の烙印

そいでいきなり今朝、会社からの電話で今日も休みになって、いきなり二連休です。
それならそうと言ってくれれば色々考えたのになあ。

せっかくなので、
当日券取れるかわからないけれども芝居を見に行ってみました。



サイモンマクバーニー演出『春琴抄』


世田谷パブリックシアターへ行ったのは、3年ぶりでした。
隣のシアタートラムは仕事で行ったりしていたのだけれども、パブリックシアターは見るしか行く機会もなく、久々。


当日券はギリギリ取れて、3階の立見席だったのだけれど、大変見やすく良い場所でした。


また専門的なことを書いてしまうのだけれども、

照明とかどんなんなのかなあと思って1階部分へ立ち寄ってみたところ、照明卓が客席に構えられておりました。
GMAのフルサイズがどーんと客席後方に置かれていて、その横に液晶モニターと、映像の信号線マルチらしきものが沢山刺さった、おそらくマトリクススイッチャーのようなものがあり、映像もGMA制御で出すのだという事がわかりました。
その時はマトリだと思ったけれど、もしかしたらメディアサーバーなのかも。
サイモンマクバーニーといえば映像を多用した演出って何かに書いてあったので、なるほどなあと。

舞台を見るとプロサス(舞台の客席側のギリギリのあたりの上空にあるバトン)にVL1000(ムービングライト)が5台くらい吊ってあって、芝居なのでランプはメタハラではなく、照明プランナーも外人さんだしオプションはアイリスではなくカッターだろうと思ったら、やはりその通り。(マニアック)
エリアで切る芝居が多く、VL1000で次々とサスを作っていました。
光よりも闇を制御しているような照明が大変格好よかったです。


ただ、GMAだし外人プランナーだし(?)ムービングもあるし、キッカケはGOボタンで走らせているのだろうなあという、オペの微妙なずれが気になりました。
人が移動したあとに明かりが追っていたり、人の移動とフェードチェンジのスピードが合っていなかったり。
そんなに「生もの」っていう芝居でもなかったけれども、やはり一定のスピードで動かすコンピュータ制御だとこうなっちゃうのかな。
役者さんのその日のテンションで最適と思われるキッカケやスピードが微妙にずれたりっていうのはよくあるけれども、これはそんなにぶれるような芝居でもなさそうだったのだけれども。
それともそのずれと思ったタイミングも、そういうプランなのだろうか。


専門用語終わり

(芝居は明日までだけれどもネタばれ的なこと、以下にあり。一応)




照明ばかり見ていたわけではなくてちゃんと芝居も見ておりました。


基本的に谷崎潤一郎の春琴抄を朗読風に進めていくのだけれども、
イチからずっとなぞって行くのではなく、所々「陰影礼賛」の一説を散りばめたり、朗読者が現代にいる、というシーンを挟んだりしていました。

陰影礼賛を持ってきたのはおそらく、昔の日本人が闇の中に美を見出しまた闇に映えるように美を調え作っていった、という所と、
佐助が琴のために自ら盲になったという件を重ねたのでは。
僕の感想だけれども。
だいぶこれでテーマというか、表現したいことみたいなのが伝わってきた感じでした。



そのテーマが浮かんだところで、ラスト、出演者達が、蛍光灯のような白い、陰のない光の中へと消えてゆき、映像による現代の氾濫する無節操な光に、春琴の琴が象徴する『二人の関係=陰/愛』みたいなのが押しつぶされる。というところで幕引。

装置も映像も照明も秀逸です。



「春琴抄」というタイトルになっていたけれども、ストーリー以外の部分では陰影礼賛の方が強く出ていたような気がします。


ラストについて考えたり、物語や表現の余韻を味わいたいようなお芝居でした。


しかしカーテンコールが3回と長すぎて、そういう余韻的なものが消えてしまったのが残念でした。
カーテンコールとかしなければいいのに。
お客さんもお客さんで、拍手を続けていればダブルコールがあるとか思って手を叩くのでしょうか。役者さんが何度も舞台に戻ってきて挨拶をしてくれた方がお得だとか思うのかなあ。

僕なら、拍手のない芝居を打てたら最高だと思うのだけれど。
こういうタイプのいい芝居って上演中よりも終わったあとに来るものではないかな。
やる方も、拍手されたくてやっているわけではないのだろうし、なんとかならんのかなあ、この風習。
と思うのでありました。

これではおちおち感動(泣くというだけではなく)もできません。
映画みたいに無理やりスタッフロールでも流して、5分でもいいから黙って芝居を振り返って考える時間を作れないものだろうか。

あと三階席から降りてくる途中で、この芝居ではなくなぜか新感線の感想を友達と話している人がいたりして、
そんなものなのかなあと。(新感線についてではなく)
いいお芝居だったのに。



JUGEMテーマ:舞台鑑賞

| ハギワラ | 観劇とかの感想みたいな日記 | 15:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
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