今日も特に仕事もせず、仕事の連絡も殆どせず、暇に暇にすごしていました。
いつもは仕事のない日は実家にいるので、あまり浜田山で一日を過ごすということがありません。
あっても機材のメンテナンスとか、図面を描いたりとか、なにか生産的な事をしているのですが、今日はもう、そういう事を一切しませんでした。部屋の整理とかも昨日したままで今日はノータッチ。
機材を積みに来た方がこの部屋を見て口を揃えて言うのですが
「倉庫ですね」
「本当にここに住んでるんですか」
「あー(それ以上言うのをためらっている感じ)」
殆ど生活のための道具がありません。
極力小さくという事で1畳分しかない折畳みベッドと、コンロの上に乗るヤカン以外、生活感のあるものが置いていないのです。
押入れから天袋から食器棚まで、照明機材で埋まってしまっています。
そんな部屋で、
仕事もせずに、何をしたら良いというのでしょうか。
友人と遊ぶ約束もなく、ネット上でコミュニケーションを何かする方法も知らず、
仕事もなく(してないだけだけど)、やる気もない状態。
もしかしてこれが村上春樹的な都会の孤独感というヤツなのかとも思ったのですが、村上春樹を読んだ事ないのでわかりません。
それに村上春樹に都会の孤独感的な表現が当てはまるのかもわかりません。
話を聞いたり記事を見ていると、なんとなく灰色な印象を受けるだけです。
ただ、なんか、独り暮らししてる人って、暇な時こういう感じになるのかなあと思いました。
フリーター時代を思い出しました。
そんなわけで、
いまさらですがツタヤで「ダヴィンチコード」を借りて見てみました。
長髪のトムハンクスとちょっと老けたアメリが謎の組織に追われながら、謎解きしたりする映画でした。
映画を見た感じではレオナルドダヴィンチ作の物はちょくちょく出てくるけれど、タイトルになるほど重要ではないような感じを受けたのですが、原作本ではもっとキーなのでしょうか。
印象に残らなかっただけかもなのですが、最後の晩餐がダヴィンチ作だって、映画で説明してなかった気が。わかるっていう前提なのでしょうか。
あとキリスト教に詳しくないので恐らくキリスト教圏の人ほどは楽しめなかったのではとは思うのですが、でも飽きずに暇を潰せました。
日本の古代史とか、古事記とか、神社とかの、そういうののディティールをそれっぽく沢山詰めた謎解きだったら僕はもっとエキサイティングして見れたのかもしれないと思うと、キリスト教圏の人は羨ましいなあと思ったり。
そんなん作っても興行的にあれでしょうけれども……。
その後弁当を買ってきて、外国のビールとブルーチーズとで晩酌。
本を一冊買ってきて、それを読みながら眠ろうかとか考えたり。
去年は暑い時はハロハロを食べていたのだけれども引っ越してから近所にミニストップがないので、クーリッシュを食べて冷えようと思います。
孤独と踊りながら時を過ごす方法を模索中です。
(明日実家にかえるけどね)